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神話詩『魔法使いと湖の妖精』第三部

更新日:14 時間前

『水の指輪と白い龍』


第一章 心に忍びよるエルゴムの闇


火の獅子の災いから歳月が流れ

森を救った魔法使いディプセウスは

都の有力者の娘エリカと結ばれ

ひとり息子ユウを授かりました。


人びとは力を合わせ

ソルの塔をふたたび高く建てました。

市場には食べものが戻り

街には活気があふれました。


都は、もとの姿を取り戻したようでした。


それでも

笑い声には、どこか濁りがありました。

言葉の端には、かすかな棘がありました。

人びとの心には

見えない闇が広がっていたのです。


人を信じきれない疑い。

失うことへの恐れ。


それは外から来るものでもなく

心の奥で生まれるものでもない。

ただ、忍び込むもの。

――エルゴム。


その闇は

世界の彼方からひそかに広がりながら

人の恐れと共鳴していました。


人びとは知らぬ間に

互いを遠ざけ始めていました。


ふたたび建てられたソルの塔
ふたたび建てられたソルの塔

第二章 神は人の心に手を触れない


「また火の玉が落ちるらしい」


誰が言い出したとも知れぬうわさが

乾いた草に火が移るように広がりました。


富める者は地を掘り

閉ざされた地下の部屋をつくり

燃えない壁で屋敷を囲いました。


貧しい人びとは空を見上げ

空っぽの手を握るしかありませんでした。


ディプセウスには悪い予感がありました。

恐れにとらわれた心は

やがて本当の災いを呼び寄せてしまう――


「人びとの心からエルゴムを消さなければ」


その思いに導かれ

ディプセウスは妖精リュミアの湖へ向かい

魂となって天へと昇りました。


そして再び

裁定者メトリアのもとを訪れました。


しかし

メトリアは静かに言いました。


「人の心は、人間のものです。

神がそれを変えれば

それは支配になります。

世界を見守るアルケオンは

心まで支配する神ではありません」


神はつり合いを保ちます。

でも、人の心には触れません。


救いもまた

外から与えられるものではないのです。


不穏なうわさに嘆く貧しい人びと
不穏なうわさに嘆く貧しい人びと

第三章 ユウ、湖へ向かう


地上に戻ったディプセウスは悟りました。

人の心を変えられるのは

人間だけなのだと。


そして

エルゴムに侵されない力には

無垢な心が必要なのだと。


ディプセウスは決意しました。

息子ユウを湖へ連れていくことを。


エリカは強く反対しました。


「ユウはまだ幼いのです」


都で人びとが不安に揺れる中

エリカは日々の暮らしを整え

人の営みを守ろうとしていました。


そんな強い女性であった彼女も

母親としてはただ

子を守りたい一人の母でした。


ディプセウスはやさしく答えました。


「戦わせるのではない。

水を学ばせるのだ」


そして語りました。


「水は争わない。

低いところへ流れ

すべてを育てる。

だが、硬い岩を穿つ力も持っているのだ」


ユウにはまだ意味はわかりませんでした。

それでもまっすぐな目でうなずきました。


エリカは何か言いかけ

そっとユウを抱きしめました。


息子ユウを心配する妻エリカ
息子ユウを心配する妻エリカ

第四章 白い龍を呼ぶ修行


夜明け前の湖は

青く深く沈んでいました。


リュミアは湖の底から現れ

淡い光の中で指輪を差し出しました。


「これは攻める石ではありません。

大いなる力に心をつなぐ石です」


ユウはそれを受け取り

修行が始まりました。


はじめは、うまくいきませんでした。


冬には指がかじかみ

春には形が整いはじめ

夏には汗が湖に落ちました。


季節はめぐり

やがて歳月が流れました。


ユウは成長し

流れる水のように呪文を唱え

刃の鋭さで図形を描くようになりました。


ディプセウスは静かに見守りました。


白い龍を呼ぶユウの修行
白い龍を呼ぶユウの修行

第五章 ユウ、白い龍に乗る


その時は突然訪れました。


湖が静かに盛り上がり

白くうねる巨大な胴が現れました。

鱗は朝露のように輝き

長いひげが水を払いました。


白い龍――


ユウはその背に飛び乗りました。

龍は大空へと昇り

都の上空へと向かいました。


見下ろした都には

暗い紫の渦がいくつも巻いていました。


疑い、怒り、恐れ

人びとの心がぶつかり合い

言葉は刃のように傷つけ合っていました。


エルゴムは

その渦をさらに大きくしていました。


ユウ、白い龍の背に飛び乗る
ユウ、白い龍の背に飛び乗る

第六章 消えない闇


ユウは恐れませんでした。

大いなる力に身をゆだねると

心は静かになりました。


ユウが両手を広げると

薄桃色の光の花びらがあふれ

地上へと降りそそぎました。


それは攻める光ではありません。


忘れかけた記憶を

そっと呼び戻す光でした。


花びらに触れた人びとの胸から

黒い霧がほどけていき

争いはやみました。


人びとは気づきました。

エルゴムは消えない。

けれど

それは外敵ではなく

自分の中の影であったことに。


白い龍は静かに湖へ戻りました。


ユウは言いました。

「ぼくは戦っていないよ」


ディプセウスは微笑みました。

「それでいい」


ユウ、光の花びらを都に降らせる
ユウ、光の花びらを都に降らせる

エピローグ 見守る神々


メトリアは天秤を掲げません。

アルケオンも願いを叶えません。


神々はただ、見守っています。


都では壁が取り払われ

水路が整えられ

人びとは語り合うようになりました。


エルゴムは残っています。


それでも

人びとは支配されずに生きていました。


ユウは時おり湖を訪れましたが

龍を呼ぶことはありませんでした。


もう、その必要はないのです。


世界を救うのは

強い力ではありません。


それは

静かに流れる水の心なのです。

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